2024年 ご復活祭のメッセージ

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」

カトリック高宮教会主任司祭 クマール・プラビン

ルカ福音書の復活物語(ルカ24.1-12)は、イエス様に従っていた婦人たちが早朝に香料を 持って墓に出かけるところから始まります。

香料を遺体に塗って、葬りを完了させるためです。

婦人たちはイエス様が死んでしまった悲しみを感じつつも、どこかでイエス様の死を受け入れて、しきたり 通りの葬りをするために現実的に行動しています。

しかし、婦人たちが目にしたのは空の墓でした。

さら に、彼女たちはみ使いからイエス様の復活を知らされます。

「あの方は、ここにはおられない。復活な さったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」

と言われた婦 人たちは、イエス様が確かに

「わたしは死んで復活する」

と言われていたことを思い出したのです。

そうして婦人たちはイエスの復活を確信します。

彼女たちは墓から帰って、弟子たちとほかの人皆に 一部始終を知らせました。

しかし、報告を受けた弟子たちは彼女たちを信じませんでした。

はじめ婦人 たちがそうであったように、弟子たちもイエス様があらかじめ言われていたことを理解していなかっ たのです。

これまで熱心にイエス様に従ってきた人たちであっても、イエス様が死んでしまってさすが にあきらめムードといったところでしょうか。

私たちがそこにいても、多分同じような反応をしたと思います。

人間の力ではどうにもならないことが あると受け入れて、現実的に行動しなければ、この世の中を生き抜いていくことはできないからです。

私たちは生きていくうえで色々なことをあきらめ受け入れています。

年を取ること、病気になること、 人との別れ、どれもしんどいことですが、どこかで仕方ないと割り切って、前に進んでいるのです。

人 間の力ではどうにもならないことがあるというのは私たちが常々実感していることです。

この世の中に 絶対はなく、永遠に続くものもないからです。

使徒たちは婦人たちの話がたわごとに思われたので、信じなかったのです。

しかし、信じなかった使 徒たちが、その後、主イエスの復活を語り始めました。

人々に脅されても、嘲笑 されても、語ること を止めなかったのです。

彼らは復活の主に出会ったからであります。

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」

と言っているように、場所に限定されない 霊の主であります。

だから、信仰の目によらなければ、復活の主は見えない。

聖書を通して、また、 聖書の説き明かしを通して、語っておられる主の言葉に心を打たれる時、信仰の目が開かれます 。

そ こに、十字架の苦しみに勝利された主イエスが立っておられます。

語りかける主の言葉によって、弟子 たちは復活の主に出会いました。

復活の主はみ言葉をもって私たちに罪の赦 しを告げ、父なる神の愛と 恵みの中に招き入れ、死に勝利する神の国の希望を与えてくださいます 。

復活祭は、これから一年間あらゆる面において私たち自身を成長させるための良い機会ではないで しょうか。

今こそ、信仰を育てる時です。

今こそ、イエスが私たちに下さる平和と慈しみという賜物を 頂く時です。

主の復活の喜びには、私たちだけではなく自然界も加わっています。

木々は寒い冬を耐え 抜き、互いに競り合って芽をだします、

主の復活を祝うかのように!桜をはじめ、花たちもあざやかな 花びらを着飾り主の復活を祝うとともに、酷な冬期から解放された喜びの現しとも言えるでしょう。

教会ではイースターエッグが配られます。

いつの間にか「卵・イースターエッグ」は一般に復活祭の象 徴になっています。

「どうしてイースターはエッグなのだろうか?」

「いつ、どこからはじまったのだ ろうか?」

と聞かれても答えられません。

しかし、毎年習慣的に復活祭に卵を準備します。

不思議で す。

「カトリックの習慣と伝統」(英語版)によると“古代の民族の神話は宇宙万物の誕生が極大卵から生 まれた。

従って「創造、再創、復活を卵は自然的に象徴する。」としている。

昔、エジプトやイランの 人々は春分の日(春の初めの日)に親しいものたちが卵をプレゼントし合っていた。

この卵らは「生 めよ、殖えよ」を意味する。

昔の人々は卵から生命が出ることはとっても不思議なことだった。

中東 周辺に住んでいたキリスト者がこの伝統を受けて伝来し、後にイースターエッグとなり、宗教的な象 徴になったという。

すなわち、イースターエッグはイエスが墓(死)から出て新しい生をもたらした 象徴であるのです。

皆さん一人ひとりにとって、特に病気の人、貧しい立場に置かれている人、高齢者、試練に直面し、 疲労困憊している人にとって、この復活祭が、こころの苦しみから慰めの過越となりますように。

私 たちは独りぼっちではありません。

生きておられる方、イエスが私たちとともにいつまでもいてくだ さいます。

教会と世界が喜びを共にしますように。 私たちは信仰によって、主イエスを礼 拝し、主の恵 みと霊の力をいただいて、復活の主と共にある人生を歩みましょう。

皆さまにとって、恵みに満ちた復活祭となりますように !