2022/4/10 イエスキリストは生きている!

イエスキリストの復活のうれしい知らせが全世界に響き渡ります。

キリストの光が闇に打ち勝ったのです。

恵みが罪に、信仰が命に打ち勝ったのです。

復活祭は私たちカトリック教会の信仰の基盤を成すものです。

コロナの闇で苦しんだ私たちが復活の意味をよく噛みしめて、共に喜びましょう。

キリストはよみがえり、また私たちにも復活の栄光を約束されたのです。


カトリック教会の暦の中でもっとも輝かしい日は、復活祭の日曜日ではないでしょうか。


「コリントの信徒への手紙」15章14-17節にこう書いてあります。

「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、 あなたがたの信仰も無駄です。さらに、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。 なぜならもし、本当に死者が復活しないのなら、復活しなかったはずのキリストを 神が復活させたとして言って、神に反して証をしたことになるからです。 死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。 そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、 あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」


イエスが復活なさってからは、使徒たちの宣教活動で復活が中心テーマとなりました。

キリストの死から50日の間、

キリストの存在する意味すらなくなってしまったかのように見える中、

エルサレムの都では、神がイエスを死からよみがえらせたのだ、

確かにこの目で見たのだと、 堂々と宣べ伝える人々の声が鳴り響いていました。

そして聖霊降臨の日、それまでびくびくしていた臆病者たちが、勇敢な宣教者に変わりました。

ガリラヤ湖で魚を採っていた者たちは、王であるキリストを告げる者となりました。

これを見た人々は皆、確実に何かが起き、 それが彼らの生き方を完全に変えてしまったのだと認識しました。

あざける者もいましたが、それに対して使徒たちはひるむことなく答えます。

今自分たちを堂々とさせているのは、復活なさったキリストご自身なのだと。


ご復活の日、墓場にいた天使たちは、これまで人間が耳にした中で一番大切な言葉を語りました。

「あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。 さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」

と (マタイ28章6節;またはマルコ16章6節、ルカ24章6節) この言葉の持つ力で、歴史の流れが変わりました。

希望のない世界に希望がもたらされ、 男も女も、生きる目的と生きる力を与えられたのです。

それは、それまで誰も聞いたことのないものでした。


「希望なんてあるのだろうか?」と人間は常に問います。

復活祭こそが、その問いに対する答えではないでしょうか。

新約聖書は、希望を持つことを説いてくれる教科書です。

新約聖書では、ご復活の後、希望という言葉が何度も出てきます。

この世界に希望の連鎖をもたらしたのが、イエスキリストのご復活なのです。


私たちは誰もが死に直面します。

しかし私たちは知っています。

キリストと共にいれば、死の後にもまだ希望があることを。

キリストを死からよみがえらせたその同じ力が、 神に信仰を告白する人々をよみがえらせてくださいます。

死は、一枚の仕切り、越えるべき川に過ぎないものとなりました。

その向こう側には、天の国、私たちの故郷があり、そしてキリストがおられます。


このような力強いメッセージを持つ復活祭を迎え、 私たちは生きているキリストと正面から向かい合うことになります。

さあ、あなたはイエスから顔を背けて、永遠に迷い続けますか?

それともキリストを受け入れ、キリストだけが与えることができる永遠の命を得ますか?


イエスからいただく平和という賜物によって、

私たちも、また兄弟姉妹たちも幸せになりますように。

神の私たちへの愛をしっかりと理解できますように。

私たちの生き方が、出会うすべての人々への愛を表すものとなりますように。

イエスキリストの苦しみ、死、復活によって、この世界は天の父と和解することができました。

この復活祭が、私たちの間に和解、愛、平和をもたらしてくれますように。

復活祭は、生まれ変わり、新たになる季節です。今こそ神から頂いた永遠の命を生き、 そしてそれを祝いましょう。

皆さまにとって、恵みに満ちた復活祭となりますように。

高宮教会 主任
クマール・プラビン神父

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